2006年10月21日

最近は韓国の人とお付き合いすることが多くなってきました。ドイツで韓国人と会いますと、周りがヨーロッパ人だらけなので、なんとなく同じアジア人という連帯意識のようなものが生まれます。これは、日本に住んでいるとあまり経験できない感覚です。韓国の若い人は、今の日本人の若者よりもはるかに丁寧で、親切です。日本人である私に対しても、丁寧な態度であり、儒教精神が日本よりも生きていることを強く感じます。

それでも、おととい食事に行った時に、向かいに座った韓国人は、「祖母が日本人で、日本による占領時代に韓国人の祖父と結婚した。日本人の血が流れているので、私の両親は苦労した」と話しており、私としては複雑な気持ちになりました。この人は日本には一度も行ったことがないのに、日本語もかなり話すことができ、日本の歴史や今日の日本社会についてもかなり知っていました。(弥生時代とか、織田信長などという言葉も知っているのですから)

また、私の右となりに座っていた韓国人は、ふだん私に対しては大変親切な人なのですが、「独島問題をあなたはどう考えているのですか」と突然問いかけました。さらにやや酔っ払ったドイツ人が、「そうだ、あなたたち日本人は韓国人に対してずいぶん意地悪をしたでしょう」と、意地悪な軽口をたたきました。私はこういう場では、政治問題は一切避けるようにしているため、どう答えようかと頭の中で考えを整理している内に、他の韓国人が気を利かせて、「では今日はこれでお開きにしましょう」として私を窮地から救ってくれました。こうした領土問題についても、きちんと考えをまとめておかなくては、と反省した次第。

ふだんはドイツの過去との対決について原稿を書いたり、講演をしたりしているのに、こういう局面に追い込まれると、すぐに言葉に詰まってしまうというのは、情けない話です。

この晩の体験から、日本と韓国の間の関係は、ドイツとポーランドの関係に似ているなと思いました。

日本、そして日本人が過去との対決を避けてきたことが、こうした場にも突然噴出してくるのです。我々国民ひとりひとりも、こうした批判に対抗できるように考えをまとめておかなくてはなりませんが、政府も対決姿勢だけを強めるのではなく、両方が納得しあえるような妥協点を見つけてほしいものです。